2007年1月8日(月祝)

街は活況を呈していました!

ご存じの通り、わたくしは泉ヶ岳の梺(ふもと)に暮らす、田舎爺(じじいい)です。それが、ゆえ有って仙台駅前に進出?しますと、人の波で溢れ返っていました。
それは、恒例の仙台縁起初売りの事でした。まあ、わたくしの過去の経験から言っても、当たり前と云えば当たり前の事かも知れません。これが、いざなぎ景気を超えた経済状況だから何てバカな事は仙台人なら言いますまい。

仙台初売りと云うのは、昔からそういうモノです。年に一度仙台商人と、消費者の心のぶつかり合いを演じる場だからです。

かく申すわたくしも、昔日は高級紳士服仕立業という商売(職人)をやっていた親父に育てられ、門前の小僧として、仙台の商売の様をこの目で見て育ってきたのですから。
こう見えても、親父が存命の頃は、学ランの果てから、ネクタイの果てまで注文品に身をまとっていたのです。親父は仙台では「服匠10日会」と云うメンバーに名を連ねて居まして、結構肩で風を切って歩いていた時期もあったそうです。

戦争中軍隊では、主計課倉庫として、便利屋さん的に使われていて、アメリカのタバコや品物、珍しい食べ物などを家に持ち帰ったらしく、未だにその残骸らしきモノが取ってある程です。

お袋はと云うとわたくしを運搬係として、初売りと云えば、布団屋や着物屋、洋品屋など、それこそガサモノの初売りに繰り出していました。
家は、おたまやでしたから、歩きで行けた訳ですから。

どんなに不景気な時代でも、初売りだけは人がごやごやになるというのが仙台でした。つまり、初売りが混んでいるのは、仙台では常識という事です。

作成者やなけんさん

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