ふと、ビンボーダナオの名が浮かびました!
早速調べてみたところ、淡路恵子の旦那さんで、2人の子供を持っていた人だという事が分かりました。 ビンボーダナオは(貧乏だなオ?!)フィリピンの歌手で、当時はスマイリー小原・トニー谷さんらと共にちょっとしたブームを作り上げた方の様です。フィリピンのコメディアン・トリオ(Dolphy、Panchito、Chiquito)の大御所ドルフィと一緒に日本へバンド(バンド名: 3
Hotshots)の仕事で来日、滞在期間は不明だが、1950年から1952年に滞在している。 ドルフィの回顧録によると、自分達が一番最初のジャパユキ≠セと・・・語っている。
うわー、ジャパユキこれも実に懐かしい言葉ではありませんか。 ※ジャパユキとは、日本に行くという意味で使われ、大半は女性だったようです。
まあ、このビンボーダナオという人はスチャラカ社員(都蝶々・長門勇 ・中田ダイマル、ラケット・ルーキー新一・新藤恵美等の出演によるコメディー映画)にも出演したりしたようですが、結局のところ、故萬屋錦之介と結婚した、大女優淡路恵子の元夫だったという記憶だけが残った方だったようです。
結局、金持ちの国日本にジャパユキさんとして帰化し、結婚した淡路恵子とも離別しその後、淋しくなくなったと云う訳です。
さて、結論めいた事を言いますと、一時「ビンボートリオ」と云うのも出ましたし、センダミツオとか、「蛾」という名前の歌なども出ました、他にも色々有ると思うのですが、どうも、貧相なイメージのモノというのは長続きはしないようです。
やはり、人間というモノは這い上がってようしやってやるぞという気概を前面に出した生き方が、最後まで残る生き方だろうと思えるのですが、どうでしょうか。
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